子どもを叱れない大人たちへ(講演題目)
今日は、「平成26年度庄原市東城人権講演会」を公聴させて頂きました。
講師は、落語家の桂 才賀さんでした。
昭和55年から8年間、「笑点」のレギュラーもされていたという落語家です。
(当時は、古今亭朝次の名前で出演されていたそうです。私、ちょうど思春期の頃で笑点を見ている時間も遊んでいた時期で、記憶に無いのが残念です。)
才賀さんは、全国の少年院などの施設を訪問し、専門知識や技能を生かして青少年の相談にのっているそうです。
「たまにはヨ 叱ってみろよ おとなたち」
これは、栃木県の中学生が考えた川柳で、その川柳の中でも子ども達に一番人気が高かった川柳だそうです。
これが何を意味しているか。
「叱る」と「怒る」の意味が大きく違うのです。
これは辞書や、インターネットを検索すればすぐに違いがわかります。
要するに、「叱る」はアドバイス的な意味を含んでいるのです。一方「怒る」は怒る側の感情の表現なのです。
考えてみれば、自分の子ども達はどちらに感じているのでしょう??
正直に言いますと、私はやはり「怒る」事の方が多いと思います。今日の話を聞いて反省したいと思います。
また、話の中で さだまさしさんの「償い」という歌が出来た実話をお話頂きました。
会場の明かりを消すという演出効果もありましたが、講演で涙するという事になるとは思いもしませんでした。
うまく伝わるかどうかわかりませんが書いてみます。
とある工場で働く青年Y君は、いつもは遅くまで残業をしているのに給料日だけは残業せずに帰って行く。
同僚の従業員は、給料が入ったら遊びにいっているものだと思っていた。
しかし、Y君は実は遊びになど行っていなかった。お母さんが思い病気でその治療費を支払うために給料日には真っ先に病院に行き、その支払いをしていた。
そのY君、配達の途中で日頃の疲れが蓄積されいたのか、横断歩道脇の男性に気づかず、男性をはね死に至らせてしまった。
Y君は交通刑務所で服役した。Y君の真面目な働きは社長も認めるところであり。服役後は社長が身元引受人となり会社復帰をした。
復帰したY君は、依然と同様頑張って働いた。
依然と同じように給料日には残業せずに帰っていた。ただ、依然と違う点があった。以前は真っ先に病院に行っていたのが、病院は2番目になった。Y君は、給料をもらったら まず郵便局に行っていた。
事故の被害者である男性の奥さんに、その給料の一部を仕送りしていたのだ。
しかし、その奥さんは受け取らずY君に送り返す。毎月毎月その繰り返しを6年間続けた。
7年目にして、初めてその奥さんからの手紙がY君に届いた。
ここからがクライマックスなのですが・・・・あえてここまでとしておきます。
インターネットなどでも見ること、歌を聴くことも出来ますので、興味のあるかたは「さだまさし 償い」で検索してみて下さい。
「償い」だけだと・・・テレサテンが出てきます。
あと こうも言われました。
「この話、本当に聞いて欲しい人は聞きに来ないんだよな」
その通りで、今日聞きに来ていた人は少なく、しかもそのほとんどが70才前後の方ばかりでした。
最近、小学校や中学校では道徳という言葉が見直されてきています。
道徳に限らずですが、学校で行われている教育を保護者が理解していないという事があると思います。
本当の意味で子ども達が心豊かな大人へと成長するためには、学校、先生、保護者、地域の方が心を一つにして その教育をして行かなければいけないと常々思っています。
学校が悪い、先生が悪い、保護者が悪いなどと言っている場合では無いのです。
私は、第1子が幼稚園に入園した時から、積極的に保護者会、PTA活動に参加をしてきました。
役員をしていると、普段はなかなか行く事が出来ない学校へ行く機会も多くなり、我が子だけではなく、多くの子どもの頑張っている姿を見ることができます。私はこれこそが役をして得をする「役得」であり、「役徳」であると思っています。本当にありがたいです。
今日の様な講演会も、もしかすると役を頂いていなければ私も足が遠のいていたかも知れません。
これからの私の仕事は、この様な講演会や研修会に1人でも多くの保護者の方に足を運んでもらえるように務める事です。
そして、個々の思いは尊重しながらも、みんなが心を一つにして、子ども達に携わって行きたいと思います。
大変貴重な話をして頂いた「桂 才賀師匠」、本日の講演会を企画して下さった「庄原市東城人権講演会等実行委員会の皆さま」に心より感謝申し上げます。