被爆77年「原爆の日」

77年前、昭和20年8月6日 8時15分 世界で初めて原子爆弾(核兵器)が広島に投下されました。
私のブログを見て頂いている方にあらためての説明はいらないかも知れませんが。

小学校4年生の時の担任をしてくださった大西先生は被爆者の1人でした。
原爆資料館にあった背中にガラスの破片が刺さった写真が大西先生本人であったと聞かされた時は
大きな衝撃を受けた事を記憶しています。同級生の中にも被爆2世として後遺症を抱える人もいました。

安芸郡府中町の小学校だったのですが、夏になると原爆を題材した平和教育がすごく熱心に行われていました。
広島県に生まれ育った方には、親や祖父母が被爆者だったというような話は多くいらっしゃるのではないでしょうか。

戦争について、核兵器についての思いは皆さまもそれぞれお持ちの事と思います。
どの様な理屈であれ、核兵器は絶対に使用してはならないと強く思っています。

戦争はそれぞれの国の事情の中で、人類の歴史上繰り返されてきた事であり、いまここで一方的に否定をする事はできませんが、
恒久平和を願う心は、世界共通のものです。その中で核兵器の使用は、人間が人間を否定する最悪の行為であり、それを核抑止力として
保有するなどもっての他であるとしか言いようがありません。
ロシアによるウクライナ侵攻、また中国、北朝鮮による威嚇などが激化している現在、とくに平和に関して思う人も多いのではないでしょうか。

私は子どもたちに、日本人に生まれたからには、原爆資料館と、鹿児島の知覧特攻平和会館には必ず行きなさいと言ってきました。
そこに行って、当時の状況を知る事、感じる事が必ず成長し大人になった時、自身の根底に平和を思う気持ちが醸成されるものと信じています。

今も日本全国に10万人を超える被爆者がその後遺症や、地獄絵図の記憶に苦しまれています。

これまで被爆によって亡くなられた方に心よりご冥福を祈るとともに、世界恒久平和を心からお祈りをして黙祷をささげたいと思います。

≪追伸≫
本日の中国新聞の県北欄にお通りのお姫様の記事が掲載されました。
お通りについてはまた・・・・^^

その下に、三次市の臨時議会についての記事がありました。
内容は、三次藩札(商品券)の配布、学校給食への補助です。
内容はそれぞれの市の事情があるのでとりあえずおいといて・・・
臨時議会を開いてでも、緊急的に対応できるフットワークの軽さに感じるものがありました。
庄原市も施策内容ではかなり良い展開をしていると思いますが、タイミングにおしいと感じる事が多々あります。
市民の方への周知にもう少し力を入れるべきとあらためて感じました。

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