東城遊夏祭開催

皆さまこんにちは。
8月13日(土)3年ぶりにこれまで通りの遊夏祭が開催されました。
開催にあったっては、新型コロナウィルス感染防止対策が必須の条件となっていて、入り口を1カ所の限定し検温。
とても多くのお客様が会場に来られていました。
盆開催とあって、帰省した人たちが再会を楽しんでいました。
この遊夏祭は、私にとても思い出深いイベントです。
私の記憶では
旧東城町時代平成13年まで行政主導型で開催されていた「サマーナイトライブin東城」を次年度から開催をしない事を町および実行委員会が決定されました。
町は、花火を継続したいなら新たなイベントスタイルを形成する事で予算を継続するが、どうするかを当時の東城町商工会に委ねました。
そこで当時の東城町商工会青年部が集められ、どうするかを協議しました。
当時私は34歳。同世代の仲間たちと新たなイベント開催に向けて意見を出し合ったのを覚えています。
帝釈峡をメイン会場に花火大会をしてはどうか・・・・
大々的なお化け屋敷をメインにして花火大会をしてはどうか・・・
子どもたちが楽しめるイベントにしたい・・・
様々な意見があったのを記憶しています。

そして作り上げた事業計画書。予算は800万円。
もちろん、そのような多額な予算は通るわけもなく事業計画書の趣旨はそのままで、可能な限り自分たちの手で手作りでの開催を目指す事になりました。

遊夏祭の命名についても、当時の青年部のメンバーから公募をして決めました。
私自身も2つ程度提案した記憶があります。提案した名前は忘れましたが・・・
4つ程度出そろったところに、青年部員のTさんから「遊夏祭」の提案がされました。
この名前に、青年部員は衝撃を受け、満場一致で「遊夏祭」と命名されました。

遊ぶ夏祭りという名前にふさわしいものにしなければという事で
ターゲットは子ども。
お化け屋敷、フワフワドーム、釣り堀、電車の遊具など子供たちが喜び、遊べるイベントとして始まりました。
それから20年。形は少しづつ変化してはいますが、遊夏祭の趣旨は変わらず現在の東城町商工会青年部のメンバーが主体となって開催されています。

3年間、様々な規制の中でイベントの中止が相次ぎました。
その3年間で、人々もマスク着用、蜜を避ける、換気の重要さを身につけ、個人それぞれの感染防止への意識は高くなっていると感じます。

現状では変異株BA5の感染力は強く、第7波はまだまだ終息しそうになく、広島県も「医療非常事態警報」を発令するなど
医療医療体制のひっ迫が懸念されています。
庄原市でも庄原赤十字病院の病床使用率は80%と、このままでは一般診療に影響が及ぶと報告がされたところです。
イベント開催にあたっては、主催者側の徹底した感染防止対策と、個々それぞれの感染防止意識がとても重要であると感じます。
心配は尽きませんが、アフターコロナ時代を見据えた地域活性化を目指すべきと私は思います。

専門家からも現在の2類相当から5類相当への見直しを提言されており、政府も第7波収束後に見直すと方向で検討調整に入ったとされています。
第1波、第2波・・・とこれまで現在に至るまで、行動制限をかける→感染者数が減る→行動制限を解除する→感染者が増える→行動制限をかける・・・の繰り返しだったのが、今回の第7波は行動制限をかけない事を国は判断しています。
ならば!! 以前も言いましたが医療ひっ迫を引き起こさないようにするには、新型コロナウィルスの感染症の分類を見直す事が必要です。
ただ一つ思う事があります。現在の2類では診療などのかかる費用は全額公費負担となっていますが、5類相当では医療費自費負担となり診療を受けない人も増えていき結果的に感染拡大につながる事も想像されます。とするならば、新型コロナウィルスに関連する新たな分類も同時に検討すべきではないかと感じます。新たな分類を検討しても良いと言えるほどの世界的にパンデミックを起こした感染症です。
アフターコロナに向けた政府の判断に期待したいと思います。

【今回の雑学】
・なぜ、電話をかけるとき「もしもし」なのか?

明治23年、東京と横浜のあいだに初めて電話開通した当時、加入者のほとんどは政府の偉い人や金持ちだったので、上から目線のもの言いで、「おい」とか「おい、おい」と言ってたらしい。しかしこの年、電話の関係者がアメリカにちょうさのため派遣され、現地では「ハロー」と明るく軽快にあいさつをしているのを聞き、それを日本語でなんと言ったらいいかと考えた。そして「もしもし」を思いついた。「もしもし」は「申す申す」を縮めたもので「申す」は「言う」の丁寧語である。男女を問わず、どんな相手にも使えるので現在までずっと「もしもし」が使われている。

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